従来の朝ドラヒロイン像を覆す新しい主人公像
NHK連続テレビ小説『おむすび』のヒロイン・結を演じる橋本環奈さんは、これまでの朝ドラヒロインとは一線を画す新しい魅力を放っています。第一回の放送から、海に飛び込んだ後の「うちは朝ドラのヒロインか!」という独白は、従来の朝ドラヒロイン像を意識的に覆すという宣言だったのかもしれませんね。
結は、一見すると暗く作り笑顔を浮かべることもある少女でありながら、「家族思い」で「困った人を見過ごせない」という朝ドラヒロインの基本的な要素はしっかりと持ち合わせています。その優しさの源泉には、幼い頃から見てきた聖人さんと永吉さんの姿があるのでしょう。ナベさんと聖人さんのケンカを見て、神社に行ってみんなが仲良くなることを願う純粋な心を持った子だったのですもの。
でも、そんな結の個性的な部分は、セーラームーンが大好きで可愛いものにも目がなく、ハギャレンと出会ってからはギャルの掟も手に入れた、とても現代的な女の子らしさなんです。そうそう、争い事は嫌いなのに、なぜかよく巻き込まれちゃうところも愛すべきポイントですよね。
これまでの50年以上の朝ドラの歴史を振り返ると、多くのヒロインたちは良妻賢母というステレオタイプが主流でした。近年10年ほどで、男性優位の社会に抗って自分を主体に生きるヒロイン像が増えてきましたが、結はそのどちらにも当てはまらない新しい存在なのです。
栄養士を目指すきっかけも、「料理を作って食べてもらい、感謝されるとうれしい」という素直な気持ちから。そこに彼氏のために頑張りたいという想いが重なったことは、むしろ等身大の女の子らしさとして受け止めたいですね。これは男女を置き換えて「彼女のために○○になりたい」と考えても違和感のない、純粋な気持ちの表れかもしれません。
脚本家さんは、まるで変身ヒーローが多段階的に強くなっていくように、結が”朝ドラヒロイン”的な要素を少しずつ身につけていく過程を描きたかったのではないでしょうか。糸島編の終盤で覚醒したかに見えた結が、神戸編では真っすぐな明るさを身につけながらも、まだまだ従来の朝ドラヒロインとはほど遠い存在であることも、そんな意図が込められているのかもしれません。
結は、失敗しても真摯に反省する姿勢を持ち、我を張って人を傷つけるようなタイプのヒロインではありません。むしろグループの中での潤滑油のような存在として、周りの人々の心を温かく包み込んでいく、そんな新しい形のヒロイン像を体現しているのです。これまでの朝ドラヒロインのイメージを大きく覆しながらも、人を思いやる優しさという本質的な魅力は失わない、そんな結の姿に、現代を生きる等身大の女性像を見出すことができるのではないでしょうか。
理想の栄養士を目指す道のりと葛藤
栄養士を目指す結の姿は、これまでの朝ドラでも描かれてきた「私の青空」のような作品とは、また違った魅力を放っています。今回は、ギャル文化を取り入れながら、自分なりのペースで栄養士という夢に向かって歩んでいく、そんな新鮮な物語となっているんですよ。
神戸での栄養専門学校の日々は、結らしい波乱の幕開けとなりました。初日からスズリンお手製のネイルをつけ、メイクもファッションもばっちりギャルで決めて登校する結。これは実は、朝ドラヒロインらしい一面かもしれません。だって、自分の信念を貫いているんですもの。
でも、栄養士を目指す場では、TPOを考えることも大切なスキル。清潔第一の調理の場で、案の定先生に注意されてしまいます。メイクを落とすように言われ、結は「戦闘服」を全て脱ぎ去ることになってしまいました。未熟な主人公が学んでいく過程の一つとして、とても大切な経験だったのかもしれませんね。
栄養専門学校での学びは、単なる技術や知識の習得だけではありません。水間ロンさん演じる先生の授業は、同級生たちとの関係性を通じて、栄養士として、そして一人の人間としての成長を促すものとなっています。特にグループでの調理実習では、チームワークの大切さを学ぶ機会となっているんです。
結が農家で育った経験を活かし、野菜に関する知識を披露する場面も印象的でした。これは、糸島での経験が神戸での新しい生活にも活きている証。ただ、この強みが少し唐突に感じられるのは、もう少し丁寧な伏線があってもよかったかもしれませんね。
同級生の中には、貧血で倒れる子や、一人で寂しくご飯を食べている子もいます。本来なら「人助けがしたい」という理由で専門学校に入学したはずの結が、自己紹介で彼氏アピールをしてしまうのは、少し残念に感じられました。周りの友人の食生活の乱れを見かねて栄養士を目指したという方が、結の優しさがより伝わったかもしれません。
でも、結はこれから先、きっと多くの経験を重ねながら、自分らしい栄養士像を見つけていくことでしょう。米田家で育んだ「人のために」という想いと、ギャルとしての自分らしさ。その両方を大切にしながら、理想の栄養士への道を歩んでいく結の姿は、まるで等身大の若者の成長物語のようで、とても温かな気持ちにさせてくれるんです。
そう、栄養士という職業は決して珍しいものではありません。だからこそ、単なる学校生活を描くのではなく、一人の人間としての成長を描くことに重きを置いた物語展開に、私たちは期待を寄せているのかもしれませんね。
震災の記憶が残る神戸での新生活
糸島を離れ、神戸で新生活を始めた結。「さよなら糸島 ただいま神戸」というタイトルが示すように、彼女にとって神戸は新たな挑戦の地であると同時に、どこか懐かしさを感じる場所なのかもしれませんね。
神戸の町並みは、震災の記憶を静かに刻みながらも、力強く前に進む人々の営みに満ちています。特に、緒形直人さん演じる渡辺孝雄さんの存在は、震災の傷跡を今なお抱え続ける人々の姿を象徴しているように感じられます。震災で妻を失い、さらには娘までも失ってしまった孝雄さんの心の傷は、まだ癒えていないのでしょう。
この神戸という舞台設定には、平成という時代と震災、そして糸島という要素が複雑に絡み合っています。これらの要素をヒロインの結のエピソードに上手く織り込んでいくのは、脚本家さんにとってもかなり高度な挑戦だったに違いありません。
今の神戸は、若い女の子たちの元気な関西弁が飛び交い、活気に満ちた街として描かれています。特に彼女たちの「鞘当て」のシーンは、現代の若者文化をうまく表現していて、とても印象的でしたよね。
栄養専門学校でのグループ活動を中心に描かれた展開は、ストーリーがブレることなく面白く進んでいきました。ただ、これから歩や翔也などの別のエピソードが絡んでくると、糸島編のように物語が少し散漫になってしまわないかという心配の声もあります。
でも、そんな心配をよそに、神戸の街の景色は地元の方々にとって嬉しい要素になっているようです。元町や商店街など、実在する場所が丁寧に描かれているのも、このドラマの魅力の一つかもしれません。
そして、この神戸という街には、古着のバイヤーとして世界を飛び回る歩が時々姿を現します。中学時代の友人・チャンミカが元町で古着店を営んでいることを知り、そこに商品を卸す仕事で神戸に来るようになった彼女。この設定も、神戸という街の多様な魅力を表現する一つの要素となっているんですよ。
神戸での生活は、結にとって大きな変化の時期。ギャルとしての自分らしさを保ちながらも、栄養士としての専門性を身につけていく彼女の姿は、まさに現代の若者の等身大の成長物語として描かれています。そして、この物語の背景には常に、震災を乗り越えて歩み続ける神戸の街と人々の姿があるのです。
きっとこれからも、結は神戸という街で多くの人々と出会い、そして様々な経験を重ねていくことでしょう。その過程で彼女は、自分らしい生き方を見つけていくのかもしれません。そんな結の成長を、神戸の街は優しく見守っているように思えるんです。
心の整理がつかない墓参りの場面が描く人間模様
長い間姿を見せなかった歩が、突然神戸に現れました。古着のバイヤーとして海外を飛び回る彼女が、この街に来たのには特別な理由があったのです。それは、震災で亡くなった親友・真紀のお墓参りでした。
この墓参りのシーンは、人々の複雑な心の機微を丁寧に描き出しています。真紀の父・渡辺孝雄さんとの再会は、決して温かいものとはなりませんでした。「もうここには来ないでくれ」という孝雄さんの言葉は、10年以上の月日が流れても癒えない心の傷を垣間見せるものでした。
いくら自暴自棄になっているとはいえ、10年以上前に亡くなった娘を変わらず親友として墓参りに来てくれる人を、そんなにも邪険に扱うことがあるのでしょうか。「もし真紀が生きていたら、これくらいに成長しているだろうな」という思いがつらくて、歩の存在を受け入れられないのかもしれません。
孝雄さんは震災で娘を失う前から、商店街の揉め事で娘同士が仲良くすることを拒んでいました。奥さんを亡くして傷心し、さらに震災で娘まで失って、より一層意固地になってしまったのでしょう。アーケードへの猛反対や、商店街の仲間たちを目の敵にしていた過去の行動も、何か特別な理由があったのかもしれません。
実は、歩がギャルになったのは、親友の真紀の夢を引き継いだからなんです。でも、真紀のお父さんはそんなことを知らなかったのかもしれません。親でも知らないこと、話せないこと、秘密や胸に秘めた夢もあるはずです。
この展開に対して、「負のバイアス」がかかっているという指摘もあります。きっと後から和解してカタルシスが得られるようになるはずなのに、それを待てずに最初から「気分が悪い」「ありえない」という反応が目立ちます。でも、人の心の傷は、そう簡単には癒えないものなのかもしれません。
傷つきすぎて心を守るために鎧をつけている人には、無理に踏み込んだり距離を縮めることが和解とは限りません。難しい描き方が求められる場面ですが、「おむすび」ではそれをあえてシンプルに描いているように感じます。
この墓参りの場面は、単なるドラマの一コマではなく、震災という大きな傷跡を抱えながら生きる人々の、複雑な心情を映し出す鏡となっているのです。いくらドラマとはいえ、簡単な和解や都合の良い展開では片付けられない、現実の重みがそこにはあるのかもしれません。
ちゃんと絡まったいろんなものがほどけていくといいですね。とにかく話さないと何も変わらない。その一歩を踏み出すのに、これからの展開が期待されます。
自分らしさと主体性の間で揺れ動く少女の成長物語
結の主体性について、さまざまな意見が飛び交っています。朝ドラのヒロインは時代が戦前戦後であろうと現代であろうと、男性優位の社会に抗って、自分を主体にして、やりたいことに邁進することを脈々と描いてきました。でも、結はその流れとは少し違う道を歩んでいるんです。
特に注目されているのが、「米田家の呪い」という設定です。困っている人を放っておけない性格を「呪いのせい」と言って、若干の嫌々感を出している結。これは、助けられる側にとっても嬉しくない設定なのではないか、という指摘もあります。
糸島編の最後で「呪いのせいじゃなくて、人が喜んでくれるのが嬉しいから、栄養士になる」と宣言した矢先、専門学校でもめる同級生を放っておけないのは呪いのせいだと諦めている発言に、もやもやを感じる視聴者も少なくありません。単純に善良な人柄という設定では、物足りなかったのでしょうか。
しかし、結の魅力は、むしろその「普通の女の子らしさ」にあるのかもしれません。他人の気持ちを考えられる、争い事が嫌い、でも時には浮かれる。ケンカを治めようとして、もらい事故をもらってしまう。そんな等身大の少女の姿が、むしろ新鮮に映るんです。
実は、朝ドラのヒロインが男性優位に逆らって生きてきたというのは、最近10年ほどの傾向に過ぎません。それ以前の多くは、自分の人生の目標や仕事があっても、基本は良妻賢母というステレオタイプが主流だったのです。これは大河ドラマの主人公が日本男子の理想的なモデルであったのと対になる構図でした。
その意味で、結は近年のヒロイン像に逆行しているというよりも、パロディとして描かれているのかもしれません。それは第一話の「うちは朝ドラのヒロインか?」というセリフに象徴されているようです。
結は、自分の進路を「彼氏基準」で選択しているように見えます。「彼氏のために栄養士になりたい」という発言は、一見すると従来の朝ドラヒロインが築いてきた道をぶち壊すような行為に思えます。でも、それは結が成長途中だからこそ。まだ「朝ドラヒロイン」的な要素を完全には身につけていない、そんな等身大の若者の姿なのかもしれません。
この作品は、主体性の獲得を一足飛びに描くのではなく、少しずつ、でも着実に成長していく少女の物語として描かれています。決して理想的な主体性を持った完璧なヒロインではない。でも、だからこそ親近感が持てる。そんな結の姿に、現代を生きる若者たちは共感を覚えるのかもしれませんね。
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