バカップルと呼ばれる2人の恋愛模様 〜朝ドラ『おむすび』が描く新しい家族像

おむすび

行き当たりばったりなバカップルの恋愛模様に視聴者から厳しい声

NHK連続テレビ小説『おむすび』で描かれる主人公・結と翔也のラブストーリーが、視聴者の間で物議を醸しています。今回の第67回では、結と翔也の突然の結婚話から始まった両家の対面が描かれ、そのあまりにも軽率な展開に、視聴者からは厳しい声が相次いでいます。

特に目立つのが、翔也の「米田結」という名前が気に入ったという理由だけで婿入りを決意するという展開です。結婚後の生活設計も立てていないまま、両親にも相談せずに決めてしまうという行動に、視聴者からは「現実離れしている」「あまりにも無計画すぎる」という指摘が相次ぎました。

さらに、月12万円もの家賃のマンションを、貯金もないまま「ここに決めた!」と宣言する2人。社会人2〜3年目の若者が、このような高額な家賃を払いながら生活できるのか、という現実的な懸念の声も上がっています。翔也は給料のほとんどを道具と身体のメンテナンスに使っていたと明かしましたが、その一方で肩の故障は重症化するまで放置していたという矛盾も指摘されています。

このような行き当たりばったりな展開は、朝ドラの歴史の中でも珍しいものとなっています。専門学校を卒業してから半年程度しか経っていない設定の中、結婚という人生の一大イベントをこれほど軽々しく描くことに、「朝ドラらしくない」という声も少なくありません。

一方で、2人の純粋な恋愛模様を「めちゃくちゃでも面白い」「若者らしい」と好意的に受け止める視聴者も存在します。特に、結の同級生たちとの再会シーンでは、それぞれが自分の道を歩み始めている様子が描かれ、若者たちの成長を感じさせる場面として評価する声もありました。

しかし、全体的な印象としては、主人公たちの無計画な行動と現実離れした展開に、視聴者の共感を得られていない様子が浮き彫りとなっています。港区の病院で働くカスミンや、まんぷく食品のスポーツ栄養士として頑張るサッチンなど、周囲の友人たちがしっかりとした将来設計を持って進んでいる姿と比較すると、より一層その違いが際立っているようです。

「朝ドラ」という、多くの視聴者が朝の時間に家族で視聴する番組として、どこまでこのような現実離れした展開が受け入れられるのか。制作陣の意図する「若者の純粋な恋愛」という側面と、視聴者が求める「朝ドラらしさ」のバランスが、今後の展開の鍵を握ることになりそうです。

物語はまだ序盤ですが、この”バカップル”と呼ばれる2人が、これからどのように成長し、現実と向き合っていくのか。視聴者の厳しい目が注がれる中、今後の展開が注目されています。

酒井若菜演じる”元レディース”母が魅せた新たな一面

NHK連続テレビ小説『おむすび』第67回で、酒井若菜が演じる四ツ木翔也の母・幸子が、栃木の元レディースという意外な過去を持つ母親として登場し、視聴者の注目を集めています。

幸子は、息子の突然の婿入り宣言を受けて米田家を訪問。そこで繰り広げられた元レディースと元スケバンの”メンチギリ対決”は、予想外の展開として物語に新たな波紋を投げかけました。酒井若菜は、普段の優雅なイメージとは異なる、栃木弁を操りながらの気の強い母親役を見事に演じ切り、その演技力の高さを改めて示しました。

特筆すべきは、メンチを切りながらも最後には手土産のイチゴジャムを置いていくという、母親としての細やかな気遣いを忘れない演技でした。「つまらんものですけど」と言いながらジャムを差し出すシーンは、元レディースという荒々しい過去を持ちながらも、母として成長した姿を象徴的に表現しています。

現場では、このメンチギリのシーンについて、酒井若菜本人が「いやぁ、面白かったー!」と気分爽快な様子で楽しんでいたことが明かされています。演出の原田氷詩氏によると、この対決シーンは、お二人の話し合いの中から生まれた即興的な要素も多く含まれており、現場の空気を活かした自然な演技が実現したといいます。

しかし、この展開については視聴者の反応が二分しています。「朝ドラにふさわしくない」「品がない」という批判的な声がある一方で、「現実の親世代にもこういう過去を持つ人はいる」「人間味があって良い」という好意的な意見も見られます。特に、制作統括の真鍋斎氏は、「若い頃は社会や親へのもどかしさや反骨精神を持つことは誰にでもある」と、この設定に込められた意図を説明しています。

木更津キャッツアイのモー子役でも印象的な演技を見せた酒井若菜ですが、今回の役どころでも、その演技の幅の広さを存分に発揮しています。栃木弁を操りながら、時にはメンチを切り、時には母親らしい優しさを見せるという複雑な役柄を、違和感なく演じ切っているのです。

また、幸子という人物の背景には、地方都市で過ごした若い日々の思い出や、母として息子を育ててきた年月が感じられます。「貯めて嫌」と言いながらも、最後には相手を気遣うという人間性の描写は、単なる元レディースというステレオタイプを超えた、深みのある人物像を作り出すことに成功しています。

今後、この母親同士の関係性がどのように変化していくのか、そして幸子がどのような新たな一面を見せてくれるのか、視聴者の期待が高まっています。酒井若菜演じる幸子の存在は、この物語に新たな魅力と深みを加える重要な要素となりそうです。

朝ドラ『おむすび』が描く新しい家族の形

NHK連続テレビ小説『おむすび』は、従来の朝ドラとは一線を画す新しい家族像の描写に挑戦しています。特に第67回では、結と翔也の結婚話を軸に、現代の多様な家族の形が浮き彫りとなりました。

制作統括の真鍋斎氏は、市井に生きる人々の姿を描くことにこだわりを持っています。完璧に品行方正な人生を送る人ばかりではなく、若い頃は反骨精神を持ち、社会に対する不満を抱えていた人たちが、時を経て家族を持ち、それぞれの形で成長していく過程を丁寧に描こうとしているのです。

物語の中心となる米田家では、元ヤンキーだった母・愛子(麻生久美子)が、今では家族を支える強い母親として描かれています。一方、四ツ木家では元レディースの母・幸子(酒井若菜)が、息子を思う気持ちから強気な態度を取りながらも、最後には手土産を残していくという繊細な面も見せています。

この両家の対面シーンでは、一見すると単なるコメディタッチの展開に見えますが、そこには現代の家族が抱える様々な課題が織り込まれています。例えば、結婚後の姓の問題。翔也が米田家に婿入りを希望する展開には、従来の家制度や価値観との葛藤が描かれています。

また、結の同級生たちの描写からも、現代の若者たちが築こうとしている新しい家族の形が垣間見えます。港区の病院で働くカスミンや、まんぷく食品のスポーツ栄養士として活躍するサッチンなど、それぞれが自分なりの道を切り開きながら、将来の家族像を模索している姿が印象的です。

特に注目すべきは、この作品が描く「不完璧な大人たち」の存在です。聖人(北村有起哉)も若い頃は親とケンカして家を飛び出した過去があり、誰もが多かれ少なかれ、家族との関係に悩みや葛藤を抱えていることが示されています。

これは従来の朝ドラが描いてきた、いわゆる「理想的な家族像」とは異なるアプローチといえます。完璧ではない、時には言い争いも起こす、しかしそれでも互いを思いやる気持ちを持ち続ける――そんな等身大の家族の姿を描くことで、現代の視聴者により身近な共感を呼ぼうとしているのです。

確かに、このような描写方法には賛否両論があります。朝ドラならではの爽やかさや理想を求める声がある一方で、より現実に即した家族の形を支持する意見も少なくありません。

『おむすび』は、栄養士という職業を通じて「人々の健康な暮らしを支える」というテーマを持ちながらも、その根底には「現代における家族とは何か」という深い問いかけが存在しているようです。それは時に不器用で、時に強引な展開に見えるかもしれません。しかし、そこには確かに、新しい時代の家族の形を模索する真摯な姿勢が感じられるのです。

あまりにもくだらなすぎる展開に隠された制作陣の狙い

NHK連続テレビ小説『おむすび』の第67回は、「くだらない」「朝ドラ離れが加速する」といった厳しい声が続出しました。特に、元ヤンキーと元レディースの母親同士によるメンチギリ対決は、朝ドラの品格を損なうという批判の的となっています。しかし、この一見くだらなく見える展開の裏には、制作陣の明確な意図が隠されているようです。

演出の原田氷詩氏は、メンチギリのシーンについて「あの時代の空気感を思い浮かべながら、酒井さんと麻生さんがお話をしながらシーンを作り上げてくださいました」と語っています。これは単なる喧嘩シーンではなく、90年代という時代性と、その時代を生きた女性たちの生き様を表現しようとする試みだったのです。

また、制作統括の真鍋斎氏は「完璧に品行方正に生きているわけではない人たちの姿を描きたかった」と、あえて理想からかけ離れた展開を選んだ理由を説明しています。特に、阪神大震災からの復興という重いテーマを持つ作品だからこそ、人間らしい不完全さや笑いを織り交ぜることで、視聴者により親しみやすい物語にしようとする狙いがあったようです。

確かに、現場の空気は脚本家や演出家の意図通り、和やかなものだったといいます。主演の橋本環奈も大笑いし、酒井若菜は「面白かった!」と気分爽快だったと伝えられています。演者たちが楽しんで演じることで、視聴者にも作品の持つ明るさや温かみが伝わることを期待したのでしょう。

しかし、この演出方針は視聴者の間で大きく評価が分かれることとなりました。「新喜劇を目指しているのか」「緊迫感も感動も何もない」という批判的な意見がある一方で、「これでいいんだよ、今回の朝ドラは浅く、変で、わけわかんなくて、グダグダで、薄くて、それを楽しもう」という新しい楽しみ方を提案する声も出てきています。

特に注目すべきは、この作品が従来の朝ドラの文法から意図的に逸脱している点です。根本氏の脚本は、元ヤンやギャルなどの「飛び道具」と呼ばれる要素を多用することで、阪神大震災からの復興や栄養士の大切さという本来のテーマがぼんやりしがちだという指摘もあります。

しかし、その「くだらなさ」の中にこそ、現代を生きる若者たちの等身大の姿を描こうとする制作陣の挑戦が見て取れます。完璧ではない、時にはドタバタとした展開の中で、それでも前を向いて生きていく人々の姿。それは、かつての朝ドラには見られなかった新しい物語の形なのかもしれません。

今後、この作品がどのような方向性を見せていくのか、注目が集まっています。制作陣の意図する「新しい朝ドラの形」が視聴者に受け入れられるかどうかは、まだ見えていません。しかし、あえて従来の型を破ることで、現代に即した新たなドラマの可能性を模索する姿勢には、一定の評価も寄せられているのです。

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