主人公不在の朝ドラ週間、視聴者の声から見えてきたもの

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異例の展開、主人公不在の朝ドラが物語るもの

NHK連続テレビ小説「おむすび」の第16週で、これまでにない異例の展開が視聴者の注目を集めています。ヒロインである米田結を演じる橋本環奈が3日連続で登場せず、オープニング主題歌の出演者表記からも姿を消したのです。

朝ドラの長い歴史の中で、主人公不在の展開は決して前例がないわけではありません。過去の作品「芋たこなんきん」では、主演の藤山直美の舞台スケジュールの都合で、回想シーンを多用して物語を展開した例がありました。また、「スカーレット」でも、幼なじみの喫茶店でのドタバタ劇を一週間かけて描くなど、ヒロイン不在の週が存在しました。

しかし、今回の「おむすび」における主人公不在は、単なる演出上の工夫というよりも、制作上の課題を浮き彫りにしているように見えます。制作統括が度重なる説明に追われているという事実は、この展開が視聴者に与える影響の大きさを物語っています。

特筆すべきは、この異例の展開に対する視聴者の反応です。「主人公不在って今までの朝ドラ歴史であったのだろうか」という驚きの声がある一方で、「主人公不在の今週すごくおもろい」という好意的な評価も見られます。これは、脇を固める出演陣の魅力が十分に機能している証とも言えるでしょう。

しかし、この状況を単純に肯定的に捉えることはできません。朝ドラは若手女優の登竜門として、長年にわたり重要な役割を果たしてきました。かつては15分×6日で90分、民放の2時間ドラマに匹敵する放送時間を確保し、若い新人女優がその過密スケジュールに挑戦することで成長していく場でもあったのです。

近年、朝ドラのヒロイン選考は、オーディションによる新人発掘から、知名度のある女優へのオファーへと変化しています。この変化は、視聴率や話題性を重視する現代の放送環境を反映したものかもしれません。しかし、その代償として、主演女優の多忙なスケジュールに制作が左右される事態が生じているのです。

制作サイドは「シスターフッド」という言葉を用いて、姉妹の物語としての側面を強調しています。しかし、本来シスターフッドとは、1960年代から70年代にかけての女性解放運動で使われた言葉で、階級や人種、性的指向を超えた女性同士の連帯を表す概念です。安易な言葉の使用は、かえって制作側の苦心を露呈させているようにも見えます。

主人公不在という異例の展開は、朝ドラが直面している構造的な課題を示唆しています。知名度重視のキャスティング、スケジュール管理の困難さ、そして視聴者の期待との折り合いなど、現代の朝ドラが抱える多くの問題が、この一週間の展開に凝縮されているのです。

仲里依紗演じる「歩」が魅せる新たな物語の可能性

第16週の「おむすび」は、結の姉・歩を中心とした物語展開で視聴者の心を掴んでいます。神戸の商店街を舞台に、歩の周りで繰り広げられる人間模様は、新たな魅力を放っているのです。

物語は、糸島時代のギャルの仲間であるルーリーが神戸の結の家を訪ねてくるところから始まります。ルーリーは結の紹介で、歩の友人であるちゃんみかの店で働くことになりますが、そこでトラブルが発生。さらに糸島からスナックのママ・卑弥呼、海外から歩の仕事仲間・佑馬も加わり、歩を中心とした人間関係が複雑に絡み合っていきます。

特筆すべきは、ルーリーの存在感です。東京のギャルは単にチャラチャラしているだけという彼女のセリフからは、関東と関西以西のギャル文化の違いという興味深い視点が提示されています。関西以西のギャルが持っていた「軸」の存在は、この物語に新たな深みを与えているのです。

歩を演じる仲里依紗の存在感も、物語の魅力を高める重要な要素となっています。「自称ギャルのヒロインが栄養士から管理栄養士を目指す話より、仲里依紗の歩を中心とした今週の話の方が断然面白い」という視聴者の声も上がっています。

物語は、商店街のブティックで起きた泥棒事件を軸に展開し、ミステリー的な要素も加わって視聴者の興味を引きつけています。卑弥呼がティーカップを持ちながら張り込みのような行動をとるシーンは、コミカルでありながらも話の展開に緊張感を与えています。

さらに、歩の友人チャンミカを通じて描かれる人間関係の機微も見逃せません。「恋は盲目」という言葉通り、歩の言葉が届かない状況が生まれ、友情にヒビが入るという展開は、視聴者の感情を揺さぶります。

米田家には次々と人が増えていく状況に、父親が「何でどんどん人が増えていくんや」とつぶやくシーンからは、家族の在り方や人とのつながりについても考えさせられます。また、歩の過去や、まんぷく食品での様子など、まだ描かれていない物語の可能性も残されています。

このように、歩を中心とした展開は、単なるスピンオフ的な要素を超えて、朝ドラならではの人間ドラマとしての深みを見せています。それは、家族や友情、仕事、そして地域社会との関わりという、普遍的なテーマを持ちながらも、現代的な視点で描かれる新しい物語の可能性を示唆しているのです。

管理栄養士への夢と描かれない成長過程

管理栄養士の国家試験に向かう結の姿は、物語の重要な軸でありながら、その成長過程が十分に描かれていないという課題を抱えています。専門学校時代から、学校生活や勉強に取り組む姿勢は断片的にしか描かれず、ギャル生活や恋愛模様が中心となっていました。

管理栄養士の国家試験は、30年前と同様に今でも厳しい試験として知られています。複数の事例をまとめて出願時に提出し、ペーパーテストと合わせて合否が決定される複雑な仕組みを持っています。しかし、ドラマ内では試験までの道のりや、その準備過程がほとんど描かれていません。

視聴者からは「試験当日の朝まですっ飛ばすのではないか」「翌朝の回はみんなで合格祝いになるのでは」という予測が出ています。これは、物語が重要な成長過程を省略して結果だけを描く傾向への懸念を示しています。

高校編、専門学校編でも2年3年があっという間に過ぎ去り、結の学業への取り組みは丁寧に描かれていません。現在も育児と勉強の両立に奮闘しているはずですが、その具体的な姿は視聴者の目に触れることがありません。

朝ドラの基本は「家族」を描くことであり、「お仕事ドラマ」ではないという意見もあります。確かに、専門的な内容を詳しく描くことで視聴者が置いていかれるリスクは存在します。しかし、主人公の夢への挑戦と成長を描く朝ドラにおいて、その核心となる部分が薄くなっていることは否めません。

結の管理栄養士への夢は、単なる職業選択の物語ではなく、彼女の人生における重要な転換点であり、成長の証でもあるはずです。しかし、現状では「育児と勉強に集中してもらい」というナレーションだけで片付けられ、その実質的な挑戦の過程が描かれないまま、物語が進んでいくことへの違和感を多くの視聴者が感じているのです。

視聴者の反応に見る朝ドラの岐路

朝ドラ「おむすび」の展開をめぐり、視聴者の反応は大きく二分されています。一方では「なんだか、おむすびが見やすくなった」「主人公不在の今週すごくおもろい」という肯定的な声があり、他方では「朝ドラの基本から逸脱している」「制作が破綻している」という厳しい指摘も寄せられています。

特に注目すべきは、朝ドラの在り方そのものに対する視聴者からの問題提起です。かつて朝ドラは、無名の若手新人女優の登竜門として機能していました。「朝ドラ出てた頃はより、垢抜けたなぁ」と民放ドラマを見ながら言うのが、視聴者の「あるある」でした。オーディションで選ばれた新人が、視聴者に育てられながら成長していく過程そのものが、朝ドラの魅力の一つだったのです。

しかし、現在の朝ドラは、すでにCMや民放のドラマに出演している知名度の高い女優を起用する傾向が強まっています。これは視聴率や話題性を重視した結果ですが、同時に様々な課題も浮上させています。朝ドラヒロインになりたくてもなれず、オーディションを受け続けている俳優たちがいる中で、多忙な女優を起用することへの疑問の声も上がっています。

また、物語の方向性についても視聴者は鋭い指摘を行っています。「ギャルをやりたいのか、青春ラブコメをやりたいのか、栄養士をやりたいのか、地震を含めた災害をテーマにしたいのか、シリアス路線を展開したいのか、群像劇をやりたいのか」という声は、作品の一貫性への疑問を投げかけています。

さらに、阪神淡路大震災と東日本大震災という重要なテーマの扱い方についても、「ものすごく浅い話になりました」という批判があります。「あまちゃん」のような平凡な女子高生の物語でも深い内容を描けた過去作と比較する声もあり、脚本家の力量が問われています。

このような視聴者の反応は、朝ドラが重要な岐路に立っていることを示唆しています。制作サイドには「原点回帰」を求める声が多く、次次作では新人に近い俳優が主演を務めることが決まり、期待の声が上がっています。朝ドラは、時代に合わせて変化しながらも、その本質的な魅力を失わない形で進化していくことが求められているのです。

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