ギャル文化全盛期を背景に描かれる若者たちの青春
平成16年(2004年)、ギャル文化が全盛期を迎えていた時代。主人公の米田結は、福岡・糸島で青春時代を過ごしていました。彼女の心の奥底には、幼少期に神戸で体験した阪神・淡路大震災のトラウマが深く刻まれていましたが、糸島での新しい生活の中で、少しずつ前を向いて歩み始めていました。
そんな結が出会ったのが”ハギャレン(博多ギャル連合)”でした。パラパラダンスを披露する彼女たちの姿は、まさに平成を象徴する青春そのものでした。しかし、この場面で描かれた結の表情には、どこか寂しさが漂っていたと言います。後に夫となる翔也は、そんな結の表情に目を留め、「いつも寂しそうな顔をするのはなぜか」と彼女に問いかけました。
この問いかけを通じて、結は初めて自分の心の内を語り始めます。9年前の阪神・淡路大震災の体験が、回想シーンとして語られることになったのです。しかし、この演出には疑問の声も上がりました。パラパラダンスの余韻が残る中で、被災者の悲しみを回想シーンで伝えることの違和感が指摘されたのです。
物語は、そんな結が「どんなときでも自分らしさを失わない”ギャル魂”」を胸に突き進んでいく姿を描こうとしていました。しかし、その描写は必ずしも視聴者の心に深く届くものとはなりませんでした。高校生時代の結は、「糸島で農業継いで平穏に暮らしていく」と語っていましたが、その言葉の重みや、なぜそう考えるに至ったのかという内面の描写が十分ではありませんでした。
糸島フェスティバルでのパラパラダンスのシーンは、物語の中でも印象的な場面の一つとなりましたが、それは同時に物語の課題も浮き彫りにしました。結の「ギャル」としての姿と、彼女が抱える震災のトラウマという重いテーマを、どのように結びつけて描くかという難しさです。
また、高校時代の描写においては、2005年の玄海地震や2016年の熊本地震について触れられなかったことも、九州を舞台にした作品としては大きな課題となりました。高校2年時の玄海地震の時期はあっさりと飛ばされ、高校3年時には何事もなかったかのように描かれる結の姿に、違和感を覚える視聴者も少なくありませんでした。
しかし、「おむすび」が描こうとした平成という時代、特にギャル文化全盛期の若者たちの姿には、確かに新鮮な魅力がありました。結をはじめとする登場人物たちが、それぞれの形で自分らしさを模索する姿は、現代を生きる視聴者の心にも響くものがあったはずです。
ただ、物語全体を通して見ると、結の成長過程や内面の変化が十分に描ききれていないという印象は否めません。特に、高校時代から管理栄養士を目指すまでの過程が、大きく飛ばされてしまったことは、物語の説得力を弱める結果となってしまいました。
平成という時代を背景に、ギャル文化と震災という異なるテーマを織り交ぜながら若者たちの青春を描く試みは、確かに意欲的なものでした。しかし、それぞれのテーマを深く掘り下げ、有機的につなげていくという点では、課題を残す結果となってしまったのです。
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管理栄養士として奮闘する姿に見る医療現場の実態
糸島での青春時代を経て、結は管理栄養士としての道を歩み始めます。しかし、その過程は視聴者にとって唐突な印象を与えるものでした。子育てをしながら管理栄養士の勉強をする姿や、新人管理栄養士としての成長過程にほとんど触れられないまま、6年という時間が経過してしまったのです。
大阪の総合病院で管理栄養士として働く結の姿は、医療現場の実態を映し出そうとしていました。しかし、その描写には医療従事者から多くの疑問の声が上がることになります。特に、管理栄養士が患者とここまで密接に関わることへの違和感が指摘されました。
患者の磯山八重子の病状に気づけなかったことに自責の念を感じた結が、担当を外れようと悩む場面がありました。そこで栄養科長の塚本は、経験や知識が足りないなら学べばいいことで、大事なのは仕事に慣れないことだと彼女を励まします。しかし、このような展開も、一回の励ましで解決してしまうような描写に留まってしまいました。
医療現場での描写は、さらに広がりを見せていきます。糖尿病患者の展開では、救急搬送された患者に対する緊急手術の判断や、術後の対応を管理栄養士に任せるという描写に、現実との乖離を指摘する声が上がりました。糖尿病を患う患者が簡単な手術を受ける前でさえ、血糖値を安定させるために1週間ほど入院が必要とされる現実がある中で、このような展開は医療の専門家から見ると違和感を覚えるものでした。
また、結は時として医療従事者としての境界線を越えた行動を取ることもありました。例えば、聖人の父が体調を崩した際、扁桃腺を診せるように求めたり、胃潰瘍か胃がんかの診断めいた発言をしたりする場面がありました。これらの行為は、管理栄養士の職域を超えた無責任な行動として、医療従事者から批判の声が上がることとなりました。
物語の中で、結は管理栄養士としての成長を目指していたはずです。しかし、その成長過程は十分に描かれることなく、むしろ医療ドラマとしての側面が強調される展開となっていきました。栄養士から管理栄養士へのステップアップを経験しながらも、栄養士時代の人間関係がその後にほとんど生かされないという点も、物語の継続性という面で課題を残すことになりました。
本来、管理栄養士という職業を主軸にした物語であれば、毎回何らかの栄養に関する知識や取り組みを紹介することも可能だったはずです。しかし、実際の展開ではそういった要素はほとんど見られず、代わりに医療ドラマとしての要素が前面に押し出される結果となりました。
医療現場を舞台にした展開は、視聴者に重い印象を与えることにもなりました。朝の時間帯に放送される連続ドラマとして、医療ドラマの要素が強すぎるという指摘も少なくありませんでした。結果として、管理栄養士としての専門性と医療ドラマとしての要素のバランスが取れないまま、物語は進行していくことになったのです。
橋本環奈が演じる結の表情に映し出される内なる葛藤
現在30代の役を演じる橋本環奈が描き出す結の姿は、ドラマが始まった当初から大きな注目を集めていました。しかし、その立ち居振る舞いや話し方は、物語の進行に伴う年齢の変化をほとんど感じさせないものでした。この点は、物語の説得力に大きな影響を与えることになります。
特に、感情表現の幅の狭さは、視聴者の作品への没入を妨げる要因となりました。結の表情は常に一定で、時として寂しそうに見える表情も、演技力の問題として指摘されることになりました。翔也が「いつも寂しそうな顔をする」と指摘するシーンでさえ、視聴者の中には「頭の中に疑問符が踊っていた」という声があがるほどでした。
主演女優のスケジュールの問題も、作品に大きな影響を与えることになります。千と千尋の国内公演やイギリス公演、さらに秋には映画2本という超過密スケジュールの中で、朝ドラの撮影を進めることは困難を極めました。その結果、主役でありながら2週間もの間、画面に登場しない期間が生まれてしまうという異例の事態が発生しました。
このような状況は、脚本にも大きな影響を及ぼすことになります。当初の脚本を途中から書き直さざるを得ない状況に追い込まれ、結果として物語の重要な場面が端折られてしまうという事態を招きました。視聴者からは「主役が途中一ヶ月も撮影から離れてしまう状況」を疑問視する声が上がり、長期間の連続ドラマにおける主演女優の起用の在り方にも議論が及ぶことになります。
橋本環奈は「千年に一人の美少女」として注目を集めてきた女優でしたが、この作品を通じて、演技力の課題が広く認識されることになりました。特に、年齢を重ねた役柄を演じる難しさや、感情の機微を表現することの困難さが、視聴者の目に明らかになっていきました。
結の演技は、時として作品の意図する感情表現とずれを生じさせることもありました。例えば、医療現場での深刻な場面でも、その重さが十分に伝わらないという指摘もありました。また、子育てをしながら管理栄養士を目指す過程や、新人管理栄養士としての奮闘など、重要な成長の場面が十分に描ききれない一因となったのです。
しかし、この状況は橋本環奈個人の問題というよりも、制作側の判断にも大きな課題があったと指摘されています。多忙な人気女優を朝ドラのヒロインに起用することの難しさや、長期間の撮影に対する十分な準備体制の必要性など、制作側の体制にも反省点が浮かび上がることになりました。
物語の後半に差し掛かっても、結の成長を実感できないという声は依然として強く残りました。子どもの母親として描かれるシーンでも、その役としての説得力が十分に感じられないという指摘もありました。これは単に演技の問題だけでなく、物語の展開が十分に掘り下げられていないことにも起因していたと言えるでしょう。
結果として、この作品は橋本環奈にとって大きな挑戦となりましたが、同時に今後の課題も浮き彫りにすることになりました。「アイドル女優としての卒業制作」として位置づけられた本作でしたが、その意図が十分に達成されたとは言い難い結果となってしまったのです。
コロナ禍を前に変わりゆく病院での日々
物語の舞台が2018年に設定されていることには、大きな意味が込められていました。2025年の放送時期は、阪神淡路大震災から30年という節目の年にあたります。そして、2018年という時代設定は、その2年後に訪れる「コロナ禍」という未曾有の事態を、どのように描くのかという新たな課題を浮かび上がらせることになりました。
制作陣は、阪神淡路大震災や東日本大震災をクローズアップしながら、使命感を持って作品作りに取り組んできました。しかし、現在の視聴者にとって、コロナ禍の記憶が薄れつつある中で、当時の病院現場の混乱をどのように描くべきか、大きな課題に直面することになります。
特に、結が働く病院を舞台にした展開は、視聴者に重い印象を与えかねないものでした。朝の時間帯に放送される連続ドラマとして、医療現場の深刻な状況を描くことへの懸念も示されていました。また、当時報道された現場の混乱ぶりを今更上書きしたところで、視聴者の琴線に触れることができるのかという疑問も投げかけられていました。
制作陣は、ヒロインの子育てや新人管理栄養士としての成長物語をあえて省略してまで、「コロナ禍」を描くことを選択しました。この判断は、脚本家・根本ノンジをはじめとする制作陣の強い意志を反映したものでしたが、同時に大きなリスクも伴うものでした。
病院での日常は、次第に変化の兆しを見せ始めます。聖人が人間ドックの結果から胃の精密検査を必要とされる場面や、患者の磯山八重子の病状への対応など、医療現場特有の緊張感が徐々に高まっていきました。しかし、これらの描写は時として現実の医療現場との乖離を指摘されることにもなりました。
例えば、糖尿病患者への対応では、現実の医療現場では考えにくい展開が描かれ、医療従事者から疑問の声が上がることになります。また、管理栄養士である結が、医師の領域に踏み込むような発言や行動をする場面も、医療現場の実態とはかけ離れたものとして批判を受けることになりました。
このような状況の中で、物語は2018年から2020年へと向かおうとしています。しかし、視聴者からは「コロナ禍」の描写に対する不安の声も上がっています。特に、これまでの展開で見られた医療現場の描写の課題を考えると、パンデミック下の病院という極めて困難な状況をどのように描ききることができるのか、大きな懸念が示されています。
制作陣は、震災やコロナ禍といった重いテーマを扱うことで、作品に深みを持たせようと試みました。しかし、これらのテーマと結の個人的な成長物語とを有機的に結びつけることができず、それぞれが中途半端な描写に留まってしまう結果となりました。
結果として、この作品は朝ドラとして異例の展開を見せることになりました。医療現場を舞台にしながらも、リアリティの面で課題を残し、さらには「コロナ禍」という未知の課題に向き合おうとする中で、視聴者の期待に十分に応えることができない状況に陥ってしまったのです。
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