昭和初期の男尊女卑社会に立ち向かう少女のぶの勇気
昭和10年、ラジオで国際放送が始まった時代。高等女学校5年生ののぶは、当時の社会に根強く残る「女性はこういう催しには参加しないもの」という暗黙のルールに疑問を抱きます。パン食い競走の優勝賞品がラジオと聞いたのぶが出場を希望すると、釜次が「おなごはつまらん」と反対。少女小夏の出場も認められない現実を目の当たりにしたのぶは、「女」という理由だけで夢や希望を諦めなければならない不条理に憤りを感じます。
そんな中、お腹が痛いと棄権する嵩の代わりにのぶは競走に飛び入り参加し、見事1等になります。違反だと無効になったものの、繰り上げ優勝した千尋からラジオを譲り受けたのぶ。このラジオが彼女に新たな夢を見つける契機となります。子どもたちとラジオ体操をする経験から、のぶは「教師になりたい」という目標を見出すのです。
当時は、女性は家事をするものという考えが根強く、釜次は「学校を出たら羽多子の手伝いをすべき」と主張しますが、家族の理解と支援を得て、のぶは師範学校への進学を夢見ます。のぶの「女だからこそできること」を探す姿勢は、社会の固定観念に立ち向かう勇気を示しています。嵩に向かって「みんなが風を感じた」と語るのぶの姿は、時代の空気を変えようとする彼女の決意を映し出しているようです。
大正生まれの祖母が教師や記者になりたいという夢を明治生まれの両親に反対され、早世した話や、昭和初期生まれの伯母が「人前に立つ仕事」や大学進学を「婚期が…」と心配された経験は、決して遠い昔の話ではありません。現代に生きる私たちにも、のぶの勇気から学ぶべきことがあるのではないでしょうか。

松嶋菜々子演じる登美子の複雑な母親像に視聴者が揺れる心
松嶋菜々子演じる登美子は、8年間音沙汰のなかった後、突然柳井家に戻ってきました。彼女の姿を見た視聴者の多くは、複雑な感情に包まれています。「登美子め〜なぜそこにいる〜」という声が上がる一方で、彼女のキャラクターには単なる「悪役」という枠を超えた深みがあります。
息子の嵩と千尋を残して去った登美子。彼女が演じる未亡人は、生きるために子供を手放し、他の男性に依存せざるを得なかった昭和初期の女性の厳しい現実を映し出しています。その姿は「図々しく身勝手に生きざるを得ないことに対する内心の忸怩たる想い」が垣間見える演技で、松嶋菜々子は登美子という役を「全く共感できない」と語りながらも、見事に演じ切っています。
嵩は登美子の行為を断罪できないのは、母親の弱さを無意識のうちに感じ取っているからかもしれません。「のぶちゃんにはわからない、捨てられたことがない」と言う嵩の言葉には、母への複雑な思いが詰まっています。一方、千尋は母との関係を断ち切り、高知弁を話すまでに環境に馴染んでいます。二人の息子の対照的な反応が、視聴者の心を揺さぶります。
8年間の空白の後に登美子が戻ってきた理由、そして「嵩が医者になりますから」と言う彼女の言葉。嵩を自分の思い通りにしようとする母親の姿に、視聴者は憤りを感じつつも、昭和初期という時代背景を考えると単純に否定できない複雑さがあります。松嶋菜々子の繊細な演技が、私たちに「登美子」という女性の内面を考えさせるのです。
ヤムおんちゃんの「一回こっきりの人生」という人生哲学
阿部サダヲ演じるヤムおんちゃん(屋村草吉)は、『あんぱん』の中で深い哲学を語る重要な存在です。彼の「たった1人で生まれてきて、たった1人で死んでいく。人間って、そういうもんだ」「人間なんて、おかしいな」という言葉は、やなせたかしの詩「人間なんてさびしいね」を彷彿とさせます。この詩には「心と心がふれあって なんにもいわずにわかること ただそれだけのよろこびが 人生至上の幸福さ」という一節があり、ヤムおんちゃんの言葉の背景にある思想を感じさせます。
ヤムおんちゃんと嵩の会話は、幼少期から特別なものでした。子どもを一人の人格を持った人間として尊重し、大人と同じように哲学的な話をする姿は、子どもの人権が十分に認められていなかった時代にあって、とても新鮮なものです。「ジェラシー?ヤキモチか。俺が焼くのはパンだけだ」「苦しいのか?焼いて焼かれて、だからこそ人生は面白いんじゃないか」など、ユーモアを交えながらも人生の機微を語るヤムおんちゃんの言葉は、視聴者の心に響きます。
予告では嵩に「どうせ1回こっきりの人生だ。自分のために生きろ」と語りかけ、迷える嵩を導こうとしています。子どもと対等に議論し、相手が大人の時と同じように哲学的な会話をするヤムおんちゃんは、まさに「アンパンマン」に登場するパン工場のジャムおじさんを思わせる存在。やなせたかしの世界観がヤムおんちゃんというキャラクターに色濃く反映されています。
「旅人に食べさせたあんぱんマンの顔を、再生して作っているパン屋のおじさん」という視聴者の声もあり、明るく楽しく自由で、子ども目線で会話できるヤムおんちゃんは、『あんぱん』の世界において、やなせ哲学を体現する存在として愛されています。
嵩の内なる葛藤と母への複雑な思い
北村匠海演じる嵩の心の内側には、常に母・登美子への複雑な思いが渦巻いています。「捨てられたことがないのぶちゃんにはわからない」と漏らした言葉には、8年もの間、母親に置き去りにされた少年の痛みが凝縮されています。しかし嵩は母を完全に憎むことができません。母を「捨てられた」と感じながらも、「今度こそ母を信じたい」という気持ちを抱き続けているのです。
一方、弟の千尋は嵩とは対照的な反応を見せます。千尋は2度捨てられた経験から、きっぱりと母との関係を断ち切り、高知弁を話すまでに新しい環境に馴染んでいます。兄弟の受け入れ方の違いは、嵩の内面の揺れをより鮮明に浮かび上がらせています。
嵩と千尋の対立は、パン食い競走での千尋の活躍や相撲で嵩が投げられるシーンなど、様々な場面で描かれています。「嵩の母への想い」と「千尋のたくましさ」の対比は、視聴者の感情を揺さぶります。予告映像で嵩が線路に横たわるシーンは、彼の内なる葛藤と苦悩の深さを象徴しているようです。
登美子がしきりに「医者になる」と言い続ける中、嵩は自分の本当の夢を見つける道を模索しています。彼の漫画への才能は、新聞の漫画賞での受賞で認められ始めていますが、母の期待と自分の望みの間で揺れ動く嵩の姿に、視聴者は「自分のために生きて欲しい」と願わずにはいられません。
ヤムおんちゃんが語った「たった1人で生まれてきて、たった1人で死んでいく」という言葉は、嵩にとって大きな意味を持ちます。彼が自分自身の人生を歩み始めるまでの精神的な成長と、母への複雑な思いを乗り越える過程は、このドラマの核心的なテーマの一つとなっています。
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