大学を離れた田邊(要潤)は、聡子(中田青渚)や子供たちと穏やかな日々を送っていました。
万太郎(神木)は、日本植物志図譜を11集まで作り上げたが、未だ版元は見つからず、槙野家の家計は苦しいままです。一方、寿恵子(浜辺美波)は、大切にしていた八犬伝を中尾(小倉久寛)の質屋に入れに行きました。その際、ふと目についた新聞記事に衝撃を受けます……。
槙野夫妻は借金取りに追われながらも、十徳長屋に住み続けています。石版印刷機を置いたまま夜逃げするわけにもいかないでしょう。実際には、牧野家は計18回(30回という説もあり)引っ越しをしました。家賃を払えずに立ち退きを余儀なくされても、広くて大きな家を敢えて探して借りたそうです。その理由は、膨大な量の書籍や植物標本を収納する必要があったことに加え、大きな家に住むことで金貸しの信用を得やすかったからです。 どちらの知恵によるものかはわかりませんが、夫の才能を心底からリスペクトしていた壽衛さんは、いつも子供たちに「我が家の貧乏は世間で言う貧乏とは違います。学問のための貧乏だから恥ずかしいと思わないように」と話していたそうです。大学助手に採用されたものの、俸給は15円のままで50歳まで昇給はありませんでした。壽衛さんの献身と内助の功がなければ、富太郎さんの名前は世に出なかったでしょう。
田邊教授は大学を離れた後も、穏やかに暮らしていたようですね。幸せだったのでしょう。
槙野家は、寿恵子が大切にしている八犬伝の本までも質入れする窮状に追い込まれていたようです。版元を探すのは寿恵子が行った方がいいような気がします。交渉事や提案は、万太郎よりも寿恵子の方が適していると思います。
寿恵子は、いつも質屋で大切な情報を入手しているようですね。何を見たかは、他の記事や予告編で描かれている内容から、大体想像がつきます。それを聞いた万太郎や藤丸君、波多野君たちの心情がどのように描かれるのかに注目します。
経済的な理由から、壽惠子はみえ叔母さんの料亭で仲居として働くようになりました。しかし、働き過ぎや13人もの子供の出産(うち7人は幼くして死去)、そして病気になった時に十分な医療を受けられなかったため、50代前半で亡くなってしまいました。頑張り屋の壽惠子でも、過労死に近かったようです。一方、万太郎は定期収入を得られる仕事に就いた上で、「在野の植物研究者」でもよかったと思います。夫の「好きなこと」が生活を圧迫し、妻の負担になるのは情けないと思います。
私が牧野富太郎博士を知ったのは小学生の頃で、矢田部教授(ドラマでは田邊教授)のことは知らなかったです。「らんまん」で矢田部教授のことを知りました。矢田部教授は日本の植物学の礎を築いたと思いますが、知名度では牧野富太郎博士に軍配が上がるでしょう。矢田部教授の遺志を伝える遺書は、生前用意していたのかもしれません。富太郎を東大出禁にした矢田部(田邊)教授。それが今度は自分が東大出禁に。留学までした自分が、富太郎と同じ立場になり、いろいろと熟慮した上で、妻や富太郎に向けて書いたのかもしれませんね。
田邊教授に親近感を持ち始めた所でのお別れは寂しいですが、新たな登場人物も出て次のステージに進むのでしょうね。久々に月曜日が楽しみな朝ドラです。
ドイツ帰りの徳永教授と立ち話する美作教授。ポケットに片手を突っ込んだまま話していたのは徳永教授でした。田邊教授と会うや否や、徳永教授はポケットから手を出して握手しました。田邊教授を追いやったのは徳永教授なのが見て取れましたね。表では田邊教授を立てているけど、真っ先に植物学教室に挨拶に行かないなど、海外に行き知見を広げたはずなのに、人への恨みは消えなく、その負のエネルギーは人を悲しませてしまいます。心が痛みます。
すえちゃんが父の形見とも言うべき八犬伝を質入するほど、生活が困窮していることに、万太郎はもっと危機感を持って欲しいです。
いつの間にか、ももちゃんが大きくなっていました。下の子の名前は何だろうか。来週も楽しみです。
家康も同様に、史実に忠実でないと嫌う人がいるようです。彼らは文句を言いながらも見ていることでしょう。
田辺教授が亡くなったことを知っているだろうね。その後、サト子が教授の遺書または遺言を持って会いに来ることでしょう。
田辺教授がモデルであること、そして海水浴での水死という事実を踏襲していることになりますね。
死亡記事を見るのかな?
田辺の訃報でしょう。
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