寿恵子は初めて渋谷に降り立った。そこは農村地帯が広がり、通りは汚かった。しかし、荒谷佐太郎が店主の居酒屋から買った握り飯は美味しく、りんや子どもたちにも大好評だった。
明治30年(1897年)9月。荒谷は「悪いこと言わないから、ここはやめておけ」「女の働き口といったら、弘法の湯ぐらいじゃねえか」「あそこだけは陸軍さんも来るし、大山参りの奴も立ち寄る」。客通りはなく、掃除やドブさらいもしていなかった。
そこへ、荒谷カネがおにぎりを売りに現れた。寿恵子は鮭とかつお4個ずつ買った。
帰宅した寿恵子は、りんと町内の助け合いについて語り合った。もし、相互扶助がなかったら?りんは「まず、妄想を話し合うかな。思い浮かべてごらん。例えば、北海道の開拓地に1人で行ったらって。もう荒野を見るだけで絶望だろ。でも、誰かがいるならさ。寒さに震えながら、好き勝手妄想するんだよ。何があれば幸せになれるかって。で、元気が出たら、やれそうなことを1つずつ」――。
夜。万太郎がツユクサと向き合う姿、土佐で竹雄から教わった助手の在り方を思い出し、寿恵子は「観察。そっか、横倉山だ。歩いて、観察して。万太郎さんなら、きっとそうする。行こう。渋谷が、私の横倉山になるまで」――。
渋谷はその名の通り、かつては谷の底と呼ばれていた時代がありますね。ここでの待合の経営は、決してクリーンなものではなかったでしょうし(待合とは、芸者を呼ぶためのレンタル個室のことです)、史実上はそのことで大学から咎められたこともありますが、浜辺美波さんの演じるスエちゃんなら、力強く賢く、そして爽やかに切り盛りしていくと思います。朝ドラがこちらのエピソードを本腰を入れて描くとは思っていませんでした。台湾での戦争の話はあっさりだったので、残り約3週間で牧野氏の人生のどこを描き、どう展開していくのか想像できません。本当に楽しみです。
やはり、物件を購入したり借りたりする時には内見が必要不可欠ですね。人がほとんど通りそうもない場所にあるお向かいの店の住人は、飲んだくれの荒谷佐太郎(芹沢興人さん)と耳が遠い母・カネさん親子です。しかし、お握りにはちゃんとひと手間かけた旨いものを作っているようです。寿惠子が店を出すとなると、結構重要人物になっていくのでしょうか。
このボロボロの店舗は一見外れ物件に見えますが、寿恵子は万太郎と竹雄の行動や言葉、「歩いて、観察して…」を思い出し、周辺を含めて下調べする決心をしました。かつて3人で行った「横倉山」が、寿恵子によると「渋谷」のようです。
寿恵子が主役の回が増えてきました。今回もそうです。万太郎から得た観察力、長屋の管理人さんから得た想像力、そして元々寿恵子自身が持っている知力を総合して、それが発揮されそうです。寿恵子は八犬伝が大好きで、自身も八犬士の一人になったつもりで、冒険しながら成功を収めそうです。
今朝の放送を見ても、最近は特に万太郎の出番が少なくなってきたようですね。 寿恵子さんの登場シーンは、かなり前にTBSで昼に放送されていた連続ドラマのようでした。それとも「おしん」とか。 それはともかく、寿恵子さんは商才がありそうですね。
「渋谷道玄坂・円山町のこの地区は、かつては料亭や割烹などが立ち並ぶ花街でした。 渋谷駅が1885年(明治18年)に開業し、その約2年後にできたのが円山町の温泉銭湯の隣に併設された料亭です。それが大当たりしたのをきっかけに、料亭や待合が次々とつくられ、やがて花街になったそうです。そして、その地域は昭和に入ると連れ込み旅館、のちのラブホテルが立ち並ぶようになりました。」
これは郷土史研究者の話ですが、今日の朝ドラの回での話とほぼ合致するんですよね。 つまり、これから寿恵子が開く待合茶屋は、この地域の発展に乗っかった感じで繁盛しそうですね。 時代は移り、令和の今は、そのラブホ街の中に洒落たパブなどの飲食店もできてきて、昭和・平成のころの街のイメージとまた変わってきました。 今の渋谷、道玄坂を寿恵子が見たら何と言ったでしょうねw あの有名な百貨店の本店も今はありません。時代の流れは本当に早いです。
りんさんの妄想につられて、寿恵子も妄想をしてみました。りんさんのアドバイスは最高ですね。紹介された空き家を使い物になるようにするには大変そうですが、握り飯の味に感動した寿恵子にとっては、あの場所が少し身近に感じられたのかもしれません。寿恵子の観察がスタートしますね。
りんさんの言葉は深かったです。「どうすればいいか分からなくなった時に、だれか一人を思い描き、どうなれば幸せに感じられるかを妄想し、元気が出たら、やれることを一つずつ始めればいい」という言葉は、迷える人たちにも聞いてほしいものです。
紹介された物件を自分で見に行き、考える寿恵子ちゃんは賢い子ですね。成功する人を描くなら、こうでなくっちゃいけません。
宮益坂と道玄坂は、かつて大山詣りで栄えた道だったのですね。現在の国道246号線と同じ道だとか!
キャラ強めのばあちゃんが登場する。寿恵ちゃんの渋谷改革が楽しみ!千鶴ちゃんを連れていくところではなかったようだ。
りんは、「何、この握り飯。かつ節を醤油とみりんで炊いて、煮込んでいるよ」と言う。当時、おにぎり(中に具が入ったもの)はまだなかったのだろうか。
「何があれば幸せになれるかを妄想する」。この考え方、良いなあ。腹くくった寿恵ちゃんは強い!ワクワクの冒険が始まりそうな予感がする。
江間次郎役の俳優が、「鎌倉殿の13人」で大徳利をかかえて道で寝ているにもかかわらず、はっきりとした長い台詞を口にする。日本鉄道の渋谷駅は明治18年に開業したため、この時点で12年が経過していたが、私鉄や市電が乗り入れるのは明治末期から大正、昭和にかけてであった。ちなみに、渋谷が若者の街として知られるようになったのは、1973年の渋谷パルコ開業以降と言われている。
現在の渋谷の街も、ゴミが散乱し、路上飲みの人々がたむろしているとすれば、明治時代と大差ないのかもしれない。畑がビル群に変わり、都会になったとは言え、それでも同様の問題を抱えているということだろう。
まさかの渋谷が人生の落ち着きの場所になるとは思ってもいなかった。それにしても、寿恵子が主人公の朝ドラを作ってもよさそうなくらい素晴らしいですね。
渋谷が農村地帯だったことに驚いています。寿恵子さんの奮闘記が今後の楽しみの一つです。
今日は寿恵子の独演場でした。渋谷の土地は荒れ果てています。この土地で商機を見出せるでしょうか?
観察します。寿恵子ならば、絶対にやり遂げられるでしょう。
渋谷駅の1日平均乗車人数は明治30年に509人でした。4年前は68人だったので増加傾向にあります。
レンコンには、美味しそうな食べ方がいろいろあるんですね。
寿恵子の話も面白かったです。わくわくするような内容で、主人公がいても良い作品になりそうです。
スエコの人気はわかるけど、少し疑問が残ります。
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