15年もの間、スズ子がキヌからもらった時計は、どこにも使われることなく、どこかにしまい込まれていた。何もせずにその時計を保持していたスズ子だが、引越しを機に、その時計が突然現れた可能性がある。もしかしたら、スズ子はその時計の存在をずっと意識しており、気にかけていたのかもしれない。しかし、そんなことはさておき、スズ子がこの時計を愛子に譲ることに決めたのには、ある程度の必然性があった。愛子はキヌと菊三郎の血を引き継ぐ者であり、「愛子にこの時計を持たせたら、一番いいかもしれない」とスズ子は考え、結論を出した後、愛子にその時計を手渡したのである。
香川編が描く、感動的な物語に心を動かされました。亀、写真、懐中時計という三つの遺品が、それぞれに特別な意味を持って受け継がれていく様子が印象的でした。
梅吉さんによって10年間育てられた亀は、香川の潮風を感じられる場所で過ごすのが最適でしょう。その亀は、花田家で兄として慕われる松吉さんに引き継がれました。また、梅吉さんが生前に撮影した孫娘の写真は、愛子ちゃんが大切にするべきもの。そして、キヌから愛子ちゃんへと受け継がれるべき懐中時計も、家族の絆を象徴する大切な遺品です。
血のつながりがある家族もない家族も、それぞれの家族と想いが受け継がれていく過程は、深い感動を与えてくれます。これらが絶えず繋がり、心を紡いでいくのです。
「ブギウギ」という朝ドラは、こうした教訓を私たちに教えてくれます。
キヌさんに関する描写は、そのくらいがちょうどよかったと思います。長々と展開せずに、視聴者にさまざまなことを考えさせる余地を与えるのが、このドラマの魅力の一つです。特に、梅吉さんが香川へ帰った際のキヌさんとの交流や、スズ子に関するエピソードは心温まるものでした。愛子ちゃんがキヌさんの息子たちを「おじさん」と呼んだシーンは、笑顔を誘うとともに、家族のつながりを感じさせる素敵な瞬間でした。
これまで朝ドラを観る習慣がなかった私ですが、「ブギウギ」には初回から夢中になっています。このドラマは、ダラダラと同じメッセージを繰り返すことなく、スピーディに進行しつつも、歌の力をしっかりと伝えてくれる素晴らしい作品です。最後まで楽しみに観続けるつもりです。
アメリカ公演の様子を写真だけでなく、映像で見たいという願望はあります。それは、戦後復興の象徴としてブギウギを盛り上げるためでもあります。しかし、このドラマの主題が家族愛にあることを理解しているので、その部分を端折った理由も理解できます。それにもかかわらず、どこか物足りなさを感じることもあります。大河ドラマ「青天を衝け」の後半のように、急ぎ足で進められた感じがすることもありますが、SMAPファンとして草彅君を目当てに観始めた私ですが、それを差し置いても、このドラマ全体として魅力的であると感じています。最後まで視聴することを楽しみにしています。
残りわずか3週間という状況でありますが、笠置シヅ子さんの非常に濃厚かつドラマティックな人生を振り返ると、6ヶ月という限定された期間の中で、全体を通して見ると年代ごとのバランスが良く取れていたように感じます。
個人的には、「東京ブギウギ」を中心に据えた「前期・後期」の1年間の時間があれば、大阪梅丸時代に奮闘するスズ子のエピソードにもっと時間を割くことができたし、水の江瀧子さんを登場させることもできたでしょう。また、戦時中に長谷川一夫さんとのドラマチックなエピソードも描けたはずです。後期では美空ひばりさんや高峰秀子さんも登場します。(ただし、「銀座カンカン娘」の披露が見たかったですが。)その他、初代ミスタータイガースも登場するかもしれませんし、東京大学総長の南原繁氏や作家の三島由紀夫氏の登場も考えられます。
しかし、NHKがこれまでに例のないような新しい編成に挑戦するとは思えず、私が提案する1年間の編成計画も、実現不可能な個人のわがままなのかもしれません。いずれにせよ、もし記事にあるようなエピソードごとに十分な時間を割いていたら、放送枠内に収めることは不可能だったでしょう。
「ブギウギの前のらんまん、舞いあがれ」では後半の省略が際立っていました。「らんまん」では多くの人物が登場し、「舞いあがれ」ではヒロインが様々な事業を立ち上げるものの、視聴者が感情移入する前に終わってしまいました。「名作カーネーション」は半年間でヒロインの一生を描きながらも、詰め込み感がなく、リズミカルな展開が感じられました。すでにクランクアップしていますが、これまでの内容が名作に匹敵するものであるため、残り3週間も楽しみにしています。
残りの放送話数を考慮すると、じっくりとした展開にはならない部分もあると思います。「父ちゃんブギウギ」や、スズ子が愛子に語った「マミーのマミー」のエピソードは特に印象的で、非常に感動的でした。アメリカでのロケーション撮影はできませんでしたが、星条旗があるバルコニーでの、ブギの王様モーガンフリーマン、ハトリ、そしてスズ子の写真で表現されたのは良かったです。愛子から見たアメリカの視点で描かれ、愛子がマミーの絵を描いてくれたこと、大野さんが引越しを大活躍で行ってくれたことなど、多くの素晴らしい瞬間がありました。小夜の登場を望んでいましたが、広大なコーン畑の収穫時期との重なりで不可能だったようです。コーン畑でのロケーション撮影は難しいというのも理解できます。すべてを望むと難しいですが、毎週感動を与えてくれるこのような朝ドラはおそらく初めてでしょう。特に、「ブギウギ」では感動する回数が非常に多いように思います。残り15話で愛子の誘拐などの展開があるかもしれませんし、「紅白のトリ、ハイハイブギー」の演出も期待しています。最後まで楽しみにしています。
「ブギウギ」を楽しんで観ていますが、人間関係や感情のつながりが時折断絶してしまうように感じるのは、前作の「らんまん」がそれらを非常に大切にし、上手く描いていたからかもしれません。愛助さんとの子が生まれた時の梅吉さんへの報告の有無も不明のまま時間が経過し、新しい大きな家への引っ越しも何の躊躇もなく進められたことが気になりました。三鷹は愛助さんと過ごした大切な家ではないでしょうか。話の進行上、その部分に触れる時間がなかったのかもしれませんが、愛する人の面影が残る家から前向きな気持ちだけで引っ越すことは難しいと思いますし、引っ越しを他人任せにした
ことにも疑問を感じます。笠置さんが実際にどのような人物だったのかはわかりませんが、その点については考察の余地があります。
スズ子が大スターとしての地位を築き上げたことは確かですが、そのスターとしての側面はむしろ簡潔に描かれています。プロフェッショナルとしての誇りや苦悩、葛藤を示す場面は、むしろ羽鳥や茨田、棚橋といった他の登場人物たちのエピソードで表現されているようです。朝ドラの主人公に視聴者の共感を引き出すために、あえてドラマを作り上げるのが目的なのでしょう。
「スズ子が真実を知ったら傷つくかもしれない」という見方もありますが、スズ子さんは、細かい事情を知らずとも、すでに二人の「母」の深い心情を理解しているのではないでしょうか。ツヤさんがスズ子さんへ抱く深い愛情から離れがたい気持ち、スズ子さんが東京へ行く際に描かれたシーンで表現されています。また、スズ子さんを受け入れることができなかったトミさんが、後悔する心情に対して、スズ子さんは「家族に正解はない」と伝えました。
このようにして、スズ子さんは母の愛情の深さと子どもとの別れの辛さを理解してきました。そう考えると、現在のスズ子さんなら、細かな事情を知ったとしても傷つくことはないかもしれません。そして、自分自身の子育てを通じて、子どもとの別れの辛さを再認識し、「4人の母」の心情への理解を深めていくでしょう。これからの物語の展開が非常に期待されます。
アメリカ公演は、愛子と4ヶ月も離ればなれになることで、実の母キヌさんが自らの意志で子どもを手放したわけではないことへのスズ子自身の理解を深める重要なエピソードだと思います。
それに加えて、実母との再会は感動的なものでした。ツヤさんの最後の願い「これからの生きていくわたしの知らないスズ子をキヌが知るのは耐えられない」という言葉は、史実の義母からのアイデアを借りたもので、自叙伝を読んだ人なら皆が知っている事実です。そして、史実のシズ子さんは実母と再会し、最期まで面倒を見たとされています。ドラマでは描かれないかもしれませんが、スズ子もキヌさんとの交流を続けるでしょう。
ちなみに、あの懐中時計は史実では戦火で焼失したとされています。懐中時計を大切に保管していた心情については、本人がはっきりと語っていないため、詳細は不明です。ドラマでは愛子ちゃんが受け継ぐ形になったのは自然な流れであり、良かったと思います。
ご指摘の通り、キヌとのシーンに8分30秒を割くのはもったいないと感じます。盆栽のようにねじ曲がった松の木の下で、ねじ曲がった親子関係をどう解決していくか、じっと見守っていました。期待していただけに、やや物足りなさを感じました。「マミーのマミー」というセリフが聞こえる範囲にいることが不自然であり、息子たちには聞こえないというのも奇妙です。しかし、そのセリフを通じて、スズ子が自分自身を「お母さん」ではなく「マミー」と呼ばせていた理由があるように感じられました。亀と懐中時計が何を象徴しているかは明らかですが、なぜ亀を連れて帰らなかったのかには同感です。最近の「ブギウギ」を史実消化週間と称しています。
梅吉父さんが眠っていた床の間の壁の色が美しかったですね。その色は江戸紫と呼ばれるのでしょうか。近年、純和風の家を建てる人が少なくなっていますから、そのような部屋を見ると、羨ましく思います。
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