朝ドラ「おむすび」第17話考察:結と歩、それぞれの神戸での記憶と再会の意味

おむすび

平成のセーラームーンブームと少女の憧れ

平成6年の神戸の街で、小さな女の子の夢見る心が輝いていました。まだ5歳だった結ちゃんは、大好きなセーラームーンの世界に夢中になっていて、いつも14歳のお姉ちゃん・歩のセーラー服を借りては、なりきり遊びを楽しんでいたんです。

当時の女の子たちにとって、セーラームーンは特別な存在でしたよね。月に代わってお仕置きよ!という決め台詞や、愛と正義のセーラー服戦士という設定は、幼い女の子たちの心をがっちりと掴んでいました。結ちゃんの部屋には、なかよしの付録や変身グッズが大切に飾られていて、まるでお姉ちゃんのようになりたいという憧れと、セーラームーンになりたいという夢が、かわいらしく重なり合っていたのです。

お父さんの聖人さんと、お母さんの愛子さんが営む床屋さんは、いつもお客さんでにぎわっていました。1階で営業している床屋さんからは、笑い声や楽しそうな会話が2階の結ちゃんの部屋まで聞こえてきて、それはそれは平和な日々だったのでしょうね。

結ちゃんの部屋には、70年代の花柄ビニールファンシーケースやカラーボックスが置かれていて、少し時代を感じさせる雰囲気がありましたが、それも含めて、とても懐かしい平成初期の女の子の部屋の様子が丁寧に描かれているんです。古本屋さんで見つけたというセーラームーンの漫画は、少し焼けて変色していたけれど、結ちゃんにとっては宝物だったことでしょう。

お姉ちゃんの歩とは、とても仲の良い姉妹でした。中学生だった歩は、妹思いで優しい性格。結ちゃんが自分のセーラー服を着て遊ぶのを、いつも微笑ましく見守っていたんですよ。そんな歩の親友が真紀ちゃんで、彼女のお父さんは靴屋さんを営んでいました。二人は毎日のように一緒に遊び、姉妹のような関係を築いていたんです。

でも、そんな平和な日々は、やがて大きな試練を迎えることになります。商店街にアーケードを設置する計画が持ち上がり、バブル崩壊後の経済的な困難さから、真紀ちゃんの家と結ちゃんの家の間に、思いもよらない溝が生まれてしまうのです。

10年後、高校生になった結ちゃんは、もう以前のような無邪気な少女ではありませんでした。セーラームーンの漫画を読んでいた頃の純粋な夢は、現実の厳しさの中で少しずつ形を変えていったのかもしれません。でも、あの頃の思い出は、きっと結ちゃんの心の中で、大切な宝物として残り続けているはずです。

時代は移り変わり、ファッションも価値観も大きく変化しましたが、少女たちの夢見る心は、今も昔も変わらないのかもしれません。結ちゃんがセーラームーンに憧れていたように、今の女の子たちも、それぞれの時代のヒロインに憧れながら、成長していくのですね。そんな普遍的な少女の心の機微を、このドラマは優しく描き出しているように感じます。

阪神淡路大震災が残した深い記憶の傷跡

結ちゃんが「美味しいもん食べたらちょっとは嫌な事は忘れられる」「美味しいもん食べて平凡無事に過ごせたらそれだけでいい」と口にする言葉の裏には、深い意味が隠されているんです。その言葉の源には、1995年の阪神淡路大震災という、取り返しのつかない出来事が横たわっているのですね。

平成6年の神戸では、まだ誰も想像すらできなかった未来が待っていました。米田家の幸せな日常、商店街のにぎわい、そして結ちゃんとお姉ちゃんの歩との温かな姉妹関係。全てが当たり前のように存在していた日々が、あの震災によって一変してしまうのです。

特に印象的なのは、お母さんの愛子さんの存在感です。周りの全てが変わってしまった中で、今でも当時と変わらない様子でいる愛子さんの強さには、深い意味が込められているように感じます。きっと家族を支えるために、必死に笑顔を絶やさなかったのでしょう。そんな母の姿は、結ちゃんの心の支えとなっていたに違いありません。

商店街の人々の暮らしも、震災を境に大きく変わることになります。アーケード設置の話し合いで溝が生まれていた人々は、震災という予期せぬ出来事の前で、それまでの小さな対立がいかに些細なものだったかを思い知ることになるのです。特に、真紀ちゃんのお父さんが営む靴屋さんとの確執は、震災によって全く違う意味を持つことになってしまいます。

当時の神戸の街並みは、70年代の懐かしい雰囲気を残しながらも、平成という新しい時代の空気が漂い始めていました。ビニールファンシーケースやカラーボックスが並ぶ部屋で、少女たちは夢を描いていた。そんな何気ない日常の描写が、これから起こる出来事を考えると、より一層胸に迫ってくるんです。

視聴者の中には、実際に震災を経験された方も多くいらっしゃいます。「私も、あの揺れを体感、大震災を経験した者」というコメントからは、まだ癒えない記憶の痛みが伝わってきます。だからこそ、このドラマが震災の描写に慎重に向き合おうとする姿勢は、とても大切なものだと感じます。

結ちゃんが港で思い出していた過去の記憶。それは単なる懐かしい思い出ではなく、彼女の心に深く刻まれたトラウマとなっているのでしょう。「みんな仲良く揉め事嫌う妹」という周りからの評価も、実は震災での経験が大きく影響しているのかもしれません。きっと、誰かを助けられなかった、あるいは何もできなかったという後悔の念が、彼女の心の奥底に残されているのではないでしょうか。

この物語は、決して震災そのものを前面に押し出してはいません。でも、登場人物たちの言動や心の機微の中に、あの日の記憶が色濃く反映されているんです。特に、結ちゃんが大切にする「日常の幸せ」という価値観は、失ってはじめて気づく大切なものの存在を、静かに物語っているように思えます。

ハギャレンと真紀との絆が交錯する物語

物語は、過去と現在が美しく交差する展開を見せています。結ちゃんがハギャレンを否定した姉・歩の言葉に傷つき、家を飛び出すシーンから始まった今回の物語。そこには、幼い頃の親友・真紀との思い出と、現在のハギャレンの仲間たちとの関係が、不思議なほど重なり合っているんです。

ハギャレンのメンバーたちは、一見派手で強気に見えるけれど、実は繊細で優しい心を持っています。結ちゃんを追いかけてきた彼女たちは、歩に否定されたことがきっかけで、活動停止を決意することになります。「結が過去を振り返る間、ハギャレン達も、どこかで悲しく活動停止を決断してたのかと思うと、切なすぎ」という視聴者の声に、多くの人が共感したことでしょう。

視聴者からは「お願いだからこのまま終わらないで」「ハギャレンの解散ショック」という声が相次いで上がりました。それは、ハギャレンというグループが単なる不良集団ではなく、結ちゃんにとって大切な居場所だったことを、みんなが感じ取っていたからかもしれません。

そして、この展開は過去の真紀ちゃんとの思い出と深く結びついているんです。かつて親友だった真紀ちゃんとの別れは、商店街のアーケード設置を巡る大人たちの対立が引き金でした。「今後、娘同士も遊ばせない」という真紀のお父さんの言葉は、幼い結ちゃんの心に深い傷を残したはずです。

現在の結ちゃんが「いい子」を演じているように見えるのも、この過去との繋がりを感じずにはいられません。「みんな仲良く揉め事嫌う妹を、『いい子ぶる』と断ずるまでに歩はどんな傷を背負ったか。遡るから深くなる」という視聴者の指摘は、とても鋭いものがありますね。

そんな中、天神乙女会の明日香との再会というサプライズな展開が待っていました。かつてハギャレンと敵対していた彼女たちの存在は、物語にさらなる深みを与えることになりそうです。真紀ちゃんとの別れが結ちゃんに影を落としているように、ハギャレンと天神乙女会の確執にも、きっと誰にも言えない物語が隠されているのでしょう。

「真紀ちゃんで過去と現在が一気に繋がった」という感想が示すように、このドラマは巧みに時間を行き来しながら、人々の心の機微を描き出しています。結ちゃんという一人の少女の成長物語でありながら、そこには家族や友人たち、そして街全体の記憶が深く刻み込まれているんです。

視聴者からは「急激に話が面白くなってきた」「胸が苦しくなる回」という声が上がっています。それは、絵に描いたようなヒロインだった結ちゃんが、歩との再会を通じて、より人間味のある立体的なキャラクターへと成長を遂げたからかもしれません。物語は、表面的な対立や和解ではなく、一人一人の心の奥底にある想いを、優しく掬い上げているように感じます。

関西芸人たちが彩る神戸の街並み

NHK大阪制作ならではの魅力が、このドラマには詰まっているんです。その代表的な特徴が、関西芸人の皆さんの絶妙な配役。特に注目を集めたのが、ミルクボーイの内海さんの出演でした。兵庫県出身という地縁を活かした起用で、関西の空気感を自然に表現してくれています。

でも、このドラマは単なる「吉本新喜劇」的な笑いを追求しているわけではありません。関西の芸人さんたちは、むしろ神戸の街の空気感を表現する重要な役割を担っているんです。彼らの演技は、コテコテの関西弁を使いながらも、どこか品のある神戸らしさを感じさせる絶妙なバランスで描かれています。

そして、芸人さんたちの中に、ベテラン俳優陣が巧みに配置されているのも見どころです。妻を亡くして意固地になってしまった役の緒形直人さんや、美佐江役のキムラ緑子さんといった実力派の存在が、ドラマに重みを持たせています。新納慎也さんも加わり、もはやNHKドラマの常連と呼べる顔ぶれが揃っているんですよ。

細部への気配りも素敵です。例えば、おじいさんが飲んでいる「雷山」というお酒のラベルが、必ず正面を向いているという演出。架空の銘柄なのでしょうが、そんな小さな設定にも神経が行き届いているんです。

ただし、視聴者の中には「神戸が舞台なのに吉本新喜劇みたいなコテコテの大阪の下町臭全開で描いて、神戸の方から反感買うと思う」という指摘もあります。確かに、神戸という街には独特の文化や雰囲気があります。大阪とは一味違う、おしゃれで洗練された港町としての魅力を持つ街ですからね。

それでも、関西の芸人さんたちの存在は、このドラマに温かみと親しみやすさをもたらしています。「とうとう内場さんまで登場して、ほんとに新喜劇になってきた」という声も、どこか愛情のこもった指摘に聞こえます。

特に印象的なのは、芸人さんたちが演じる商店街の人々の温かさです。彼らは単なる笑いを担当する脇役ではなく、神戸の街の人々の温かさや人情味を体現する存在として描かれています。結ちゃんの家族を支える地域コミュニティの一員として、とても重要な役割を果たしているんですね。

平成6年の神戸を舞台にした物語だからこそ、当時の街の雰囲気を知る関西の芸人さんたちの起用には、大きな意味があるのかもしれません。彼らは単に関西弁で笑いを取るのではなく、失われた街の記憶や人々の絆を、独特の温かみを持って表現してくれているように感じます。

「130話以上あるうちの10数話終わっただけって1クール11話程度のドラマだとやっと2話の途中ぐらい」という指摘もあるように、物語はまだ始まったばかり。これから関西の芸人さんたちが、どんな形で神戸の街の物語を彩っていってくれるのか、とても楽しみですね。

「おむすび」が描く昭和から平成の記憶

神戸回想編に入り、「おむすび」という作品の持つ奥行きが、少しずつ見えてきたように感じます。最初はギャルカルチャーを前面に押し出した物語展開に戸惑いの声も上がっていましたが、4週目を迎え、やっとドラマの本質が垣間見えてきたのではないでしょうか。

橋本環奈さん演じる結ちゃんと、仲里依紗さん演じる歩。この姉妹の関係性を軸に、昭和から平成へと移り変わる時代の空気感が、丁寧に描かれています。特に印象的なのは、歩の中学生時代の俳優さんの可愛らしい演技。素直な妹思いのお姉ちゃんから、今の複雑な心境を抱える歩への変化には、きっと私たちが知らない物語が隠されているはずです。

時代考証については、細かい指摘も見られます。70年代の花柄ビニールファンシーケースやカラーボックスが1994年の子供部屋に置かれているという時代錯誤や、古本で焼けて変色したセーラームーンの漫画など、確かに気になる部分はあるかもしれません。でも、そんな細部の誤差も含めて、どこか懐かしい平成初期の雰囲気を醸し出しているようにも感じます。

「ムスビン 結ちゃんの涙 かわいそうだった」という素直な感想が示すように、視聴者の中には結ちゃんの心情に深く共感している方も多いようです。阪神淡路大震災で全てを失い、おそらく友達を助けられなかった辛い経験も抱えている結ちゃん。彼女の心の奥底にある思いは、これからゆっくりと明かされていくのでしょう。

確かに、「ちょっと流れがのんびりすぎるのが気に入らない人が多いのかも」という指摘もあります。でも、「気長に面白くなるのを待ちます」という温かい声も多く聞かれます。130話という長い旅路の中で、ゆっくりと深みを増していく物語の魅力を、じっくりと味わいたいという気持ちが伝わってきますね。

視聴者の中には「最初から面白くない、駄作レッテル貼られて、バリバリ偏見目線で見られたら、面白いと感じれるわけがない」という指摘もあります。でも、「最初からフラットに物語を観れた人は、だんだん面白さを感じる事ができる」という声に、このドラマの真髄が表れているように思います。

「結ちゃんの家族に情がうつってから、小学生から一気に高校生になっても良かったかも」という意見も興味深いですね。物語の構成についての提案は様々ですが、それだけ多くの視聴者がこのドラマに愛着を持ち、より良い作品になることを願っているということかもしれません。

これから描かれる「神戸編」では、結たち一家や当時の神戸の住人たちの姿が、さらに詳しく描かれていくことでしょう。時には涙し、時には笑い、そして時には心が痛むような場面もあるかもしれません。でも、そんな様々な感情を抱きながら、私たちは結ちゃんたちと一緒に、この物語を歩んでいけたらいいなと思います。

平成という時代が私たちに残してくれた記憶を、丁寧に掬い上げながら紡がれていく「おむすび」という物語。これからどんな展開が待っているのか、とても楽しみですね。

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